古い表現を使うなら、
目から鱗が落ちる、だ。
長年疑問だったことが、
ついさっきようやく諒解した。
真心ブラザーズの「素晴らしきこの世界」の歌詞に、
”ゆめをみるまえに、げんじつをみよう”
という部分がある。
これがどうにも納得できなかったのだ。
あの真心ブラザーズともあろう者達が、
なぜにそんなつまらない事を言うのか。
夢を見ろ、なら分かる。
どんなに苦しくても夢を追い続けろ、とか。
前向きなメッセージこそ、真心らしいのに、
どうしてこの歌ではその逆なのか。
これがずっと分からなかったし、
ネットに拡がる解説でも納得できなかった。
が、しかし。
歌詞カードを見て、
ようやく分かった。
”ユメをみる前に、現実をみよう”
「夢」は片仮名の「ユメ」だった。
そしてその理由は前にちゃんと書いてある。
”ノードラッグ、ノーアルコールで爆発しよう”
つまりこの場合の「ユメ」とは、
幻覚状態、酩酊状態の事であり、
将来に対する希望としての「夢」ではないのだ。
むろん寝ている時見る夢でもない。
なるほど、であるなら、
この場合における「現実をみよう」は、
薬や酒の力を借りずに、
自分の力を信じて夢を追いかけようと同義語だ。
それなら、確かに真心ブラザーズらしい。
長かった、。ずっと小骨を刺したまま生きてきた。
僕にもう少し文章読解力があれば、
こんなに思い悩む事もなかったのに。
中学1年の文節、単語分けで挫折した国語力のなさが悔やまれる。
とはいえ、
これはあくまで僕がそう納得しただけであり、
本当は違うかもしれない。
そもそも歌の歌詞に意味なんてない、
と大瀧師匠も言っていたし。
ただ小骨は取れた。
そして気分が良い。
メモッただけなので、月曜には消します。